第3話 雪上のスイートホーム


閉ざされた鳥籠にも雪は降る。
東京大事変以来、神聖都市東京にまとまった降雪は無く、摩天楼が白く染まる事はほとんど無かった。
しかし深夜に降り始めた雪は今回に限って日が昇っても止むことなく、静かに街を覆って行く。

かろうじて程よい室温を保っている教室から薄暗い廊下に出て、リヒトは思わずため息を付いた。
何年かぶりの本格的な冬に、高い窓を持った石造りの校舎は凍てつくような空気を溜め込んでいる。
室内だと言うのに吐く息がうっすらと白い。
「勘弁してくれよ、オイ……」
薄く曇った窓を手で拭き、外をのぞいて肩をすくめた。灰色の空の下、雪はまだひらひらと舞い降りて来る。
と、視界の片隅に何か白い塊が見えた。
「ん?」
白い何かが動いている。それは段々とリヒトのいる窓へ近づいて来る。
「おおおおおいっ!?」
リヒトは慌てて窓を開けた。
「うぉ寒ッ!」
「あ、神父様!」
吹き込む冷たい空気と雪片に思わず窓を閉めかけたが、聞き慣れた明るい声になんとか踏み止まる。
「あ、神父様! じゃない! お前は何をやってるんだ!?」
見れば弟子である結が子供の背ほどもある雪玉を転がしているのだった。
「何、って、雪だるまを作ってるんですよ! こんなに雪が積もったの、すごく久しぶりですから!」
「お前はガキか! というか何だこいつらは!?」
そう、ただ雪だるまを作っているだけなら問題は無い。
しかしいつの間にこんなに作ったのか、窓から首を出せば――ざっと見ただけで10体以上の――雪だるまがずらりと列を成していた。
それが別に悪い事なのかといわれればそうではない。そうではないが――学園の景観としても――どうだろう。

「雪だるまさんも一人じゃ寂しいですからね! これくらい兄弟がいればきっと寂しくないですよ!」
いつの間にか一際大きくなった雪玉を更に転がしながら、結は本当に嬉しそうに話す。
「いや、兄弟ってお前……」
「あ、そうですね、姉妹かも知れませんし、親子かも知れませんよね!」
「いや、そういう問題じゃなくてな……」
「きっと今作ってるのがお父さんですよ! とっても大きく出来そうですから! ……って、どうしたんですか? 神父様?」
「……いや、いい」
どっと疲れがこみ上げてきて、リヒトはうんざりした表情でタバコを取り出した。
結は一瞬眉をひそめたが、ふう、と溜息をつくだけでそれ以上は何も言わなかった。
指に挟んだまま火はつけず、しばらく雪だるまを眺める。
並んでいるのはただ白い玉を重ねただけのオブジェである。作り始めと思われるいくつかには目鼻らしきパーツがないでもないが、どうやら作者は途中で雪だるまに個性を持たせることをあきらめたらしい。弟子の不器用さはよく知ってはいるが、白い景色に白い雪玉が並ぶだけではいまひとつ面白みに欠けるのではないか。
「……タバコでも吸わせてみたらどうだ」
「最低です、神父様。タバコはだめです」
「最低ってなお前……」
有無を言わさぬ抗議の言葉の直後、リヒトの隣に音もなく暖かな光が生まれた。
「うん、お父さん、最低」
「ぐっ」
「あ、ハニエルちゃん!」
生まれた光から姿を現した小さな天使、ハニエルがふわりと窓を飛び越え無言で雪原に降り立つ。
じっと大きな雪玉を見つめ、少し目を丸くしているように見えた。
「寒くないか、ハニエル」
「……平気」
薄手の服に素足の姿は一見とても寒そうに見えるが、天使であるハニエルにはこの世界の天候など関係ないのかもしれない。
「ハニエルちゃんも転がしてみる?」
結が少し体をずらすとハニエルはうなずいてぺたりと雪玉に両手を添えた。
その手が冷たさを感じているのかはわからない、ただハニエルはほんの少し目を細めた。
「これをその雪だるまさんの隣に転がしたら終わりですよ! せーのっ!」
ごろごろと、大きな雪の塊が列の一番端に並ぶ。
他の雪だるまより確かに大きいそれは、存在感たっぷりに佇んでいた。
しかしそれゆえに、その上に乗せる頭もそれなりに大きくなければバランスが取れそうに無い。
「……で、お前これ、頭どうするんだ」
「小さい頭をちょこんと乗せるのも可愛いかもしれません!」
「メタボな父親だな」
「もう! 神父様夢がありませんよ! あ……そうだ!」
結が手を叩くと雪まみれの手袋がぱふ、と間抜けな音を立てた。
「メタトロン! ちょっと来てくださいませんか?」
「ヨバレタ、飛ビデタ」
「ちょっと、失礼しますね!」 召喚に応じて目の前に現れた自分の契約天使に、結は満面の笑顔を浮かべながら手を伸ばす。
対するメタトロンは事情が飲み込めず、元から丸い目を更に丸くにして二、三度瞬いた。
「おい待て、お前まさか」
リヒトが問を口にするより早く、結は抱えたメタトロンをぽすっ、と雪だるまの上に乗せた。
「――冷タイ」
冷たいって感じるのか――、とリヒトは思わず心の中でつぶやく。あの身体は鋼じゃないのか。
「って、そうじゃなくてな!?」
「わあ、ぴったりです!」
「……メタトロン、お父さんだるま」
「ユイ、チョットコレ、冷タイ」
目を細めたメタトロンはそういいつつもその場を離れない。
結とハニエルはまた新しい雪玉を転がし始めた。
「今度はお母さんだるまを作りますよ!」
どうやら雪だるま家族はまだまだ増える予定らしい。リヒトは苦笑し、ようやく煙草に火をつけた。


text:土上椎